生きづらさを克服し、望む明日を掴む

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消費される性のあり方について

今日、初めてtiktokというものに触れてみた。

すると、女子中高生がダンスをしている動画が特に多くオススメに挙げられていた。

微笑ましいものもあるが、中には、コメント欄を下ネタで埋めようという行為に及んでまで、自分を有名にしようとする人の動画が多く目についた。

しかもtiktokを起動したその瞬間にそんな動画が当たり前のように流れるのだ。

ただでさえ、性のあり方もあらゆる点で大きく変わっている社会だ。

もちろんその中ではいい変化もある。LGBTQなどが徐々に認められつつあることだ。

しかし、このようにただ消費される性というのはどうだろうか。

また、若さゆえに悪い考えを持つ大人から利用される危険もある。

気軽に自分を発信できるということには、それ相応のリスクが伴うということを、自分自身も充分に自覚しなければならないと心から感じた。

tiktokというツール自体が悪いというわけではない。

やはり、利用する側の問題である。

しかしツールを作った時点で、今の時代はある程度使われ方をシミュレートしていく必要があるだろう。

令和の社会において、これからあらゆる価値観が多様化し、依るべきものというのがどんどん減ってくるように思う。

そんな中、自分を常にもつことは難しいけれど、律していかなければならないだろう。