生きづらさを克服し、望む明日を掴む

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恋愛をするということについて思うこと

恋愛をするということに関しての価値観は、今確実に多様化しているように感じる。

するもしないも自由、結婚に関してももはや両親が息子や娘に強く口出しするようなことは時代遅れと言えるだろう。

 

LGBTQとはまた違う、アセクシャルという在り方がついにNHKで取り上げられたようだ。

主としてアセクシャルという言葉は日本では、恋愛感情を抱かない人という意味で使われている。

自分がこの言葉を知ったのは数年前。

そして、その言葉を知った時に浮かんだのは、自分が片思いをしていたある人物の存在だった。

 

「○○は付き合ったらその人と手を繋ぎたいとか思うでしょ?」

告白した後、そう尋ねられて僕はその言葉をとっさに否定することができなかった。

「だとしたら付き合うのは無理かな」

そう続けられて、僕の恋は終わった。

また、その人物は言っていた。「仲良しのおじいちゃん、おばあちゃんみたいに散歩できるような関係が理想なんだ」と。

そして、「恋愛と尊敬の違いがわからない」と話していた。実際、付き合ってもうまくいかなかったと話し、そこからは苦悩が読み取れた。

しかし、その時の僕は、ほとんどその言葉の意味が理解できずに、ただただ自分勝手な感傷に浸っていただけだった。

 

あの子が果たしてアセクシャルだったのかどうかはわからない。

ただ、その言葉を知って、その出来事に対する自分の見方、考え方は大きく変わったのは事実だった。

 

好きな相手とは手を繋ぎたい、性的な接触も持ちたいと考える人間の方が確かに多数派かもしれない。

でも、年齢に関係なく、もっと穏やかなパートナーシップを望んでいる人間もいるのだということ。(アセクシャルの人全員がパートナーを望んでいるわけではないが

それを知った上で、出来事を見返してみると、無知な自分が情けなく感じる。

いわば、恋愛はして当たり前のものだという考えをその当時の自分はしていたというわけだ。

 

まだ、いい人に出会っていないだけ。

アセクシャルに対してそう論じる人もいるだろう。

だが、僕自身はどうもそうは思えない。

アセクシャルを自認する人達は、恋愛があって当たり前の社会にずっと違和感を持って暮らしてきた人も少なくないように思う。

当然人それぞれだが、乱暴にいい人に出会っていないという説を押し付けることは難しいだろう。

 

そもそも恋愛に対する価値観を一つに定めること自体、人によっては容易とは言い難いだろう。

僕自身もまだ、恋愛、愛の深い部分について正直言ってよく分からない。

やはり、自分自身がどう考え、その考えにそれなりの自信を持つことができるかどうかということだろう。