生きづらさを克服し、望む明日を掴む

音楽や詩、小説、気持ちを伝えることで誰かの力になることを目指すブログ

MENU

勉強に集中するということの困難さ

いろんな人がいれば、いろんな脳がある。

その結果、社会生活に適応しやすい人、適応しにくく生きづらさを感じる人の違いが生まれてくる。

そして、その困難は見えているものだけが全てではない。

 

授業中、脳は先生の話を聞くこと、黒板の文字をみることに集中しているのが一般的なあり方。

だが一方で、目の前の人間の動き、カリカリとノートに書き込む音、家に帰ったら何をするか、あの小説を読みたい、あれをやってこれをやって、そうなったらああなって、ああでもどうしよう、先にあれから手をつけるべきか

というように、脱線していく脳もある。

そして、脱線していく考えをよそに、必死に集中しようとするうちに、疲れ切り、だんだん目が開かなくなる。耐えられない眠気というものがやってくるのだ。

 

授業中に寝ている、眠そうにしていること、その全てがサボることや勉強のやる気のなさから来ているわけではない。

ただ、脳が限界に達すると、目を閉じることで、視覚からくる情報を遮断し、休もうとするのだ。

 

そして、本人もその辛さになかなか気づくことがない。

なんだかおかしい。どの授業も眠くて仕方がないのに、周りにはそんな様子の人間は少ない。

始めはナルコレプシーかとも疑ってみたが、それとも違う。

 

そして、その集中することの困難さは家でも同じだった。

受験勉強をする段階になっても、集中力は皆無。

家のTVや家族の話し声など全てやめてもらい、勉強に集中しようとしても、

すぐに別方向に飛んでいく意識、家に帰れば帰ったで、学校でした友人との会話の内容などがぐるぐると頭を巡ってしまう。

いくら意識を戻しても、それはとめどなく続く。あの時ああ話していたらどうなっていただろうか、あ〜でもそれは違うな、だからああ言えばよかったんだよ、言ってたとしてどうなっただろうか、あいつならああいうだろうな。

そうした考えは四六時中続き、休まることがない。

 

しかし、それが日常であると、その困難さに気づくことがない。

集中できないなら、集中できないなりに勉強するしかなかった。

意識が飛んで、戻して、飛んで、戻して、繰り返し。

そんな戦いを続けながら、一日十時間以上勉強し、なんとか希望の大学に入ることはできた。

しかし、大学に入ってもその集中への困難さは変わることがなかった。