生きづらさを克服し、望む明日を掴む

音楽や詩、小説、気持ちを伝えることで誰かの力になることを目指すブログ

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理由が分からず生きづらいという人(発達障害の可能性

僕の経験してきた色々なことをこのブログで伝えていくことで、少しでも苦しんでいる人の力になればと思います。

僕の現状

初めまして、そらと申します。
僕の現状は自宅にて病気療養中です。

僕の持つ病気というより障害に関しては、まだ完全な診断が下っていませんが、
おそらく発達障害、ADHDおよび自閉症スペクトラム(どちらかもしくは両方)を持っているものと思われます。(検査による診断は受けていないが医者から発達障害という言葉が出た

発達障害はその生きづらさから二次障害(うつなど)を引き起こしやすく、
現在その二次障害の治療中です。

発達障害の兆候

僕に発達障害の兆候が現れたのは2,3歳の時です。
幼い時から、赤ちゃん言葉などを使わず、口から生まれたかのように、両親の会話に普通に混じって喋っていたらしい僕ですが、
突然吃音が出てうまく喋ることができなくなったそうです。
今でこそ、吃音は発達障害の一つとされていますが、その当時はそういった明確な基準はなかったようです。
それから、小学校に上がる前に吃音は改善しました。(今でも緊張するような場面ではうまく喋れなくなることがあります。

小学生時代(男子生徒としての困難)

振る舞いが男性らしくないということで、いじめられることがありました。
また、ある程度友達がいましたが、アニメの技の掛け合いなど、いわゆる小学生の男子らしいからかいや冗談などもあまり理解できず、ライトノベルやファンタジー小説などを読んで過ごしていることが多い子供でした。
男性らしくないことに加え、発達障害により運動が苦手、素早く行動することが苦手で、学校生活には苦労しました。
ただ、成績だけは良く、教師からは気に入られる子供でした。

中学生時代

ここでも、振る舞いが男性らしくないことを理由にいじめがありました。
友達も少なく、テストの点数をよくして一目置かれることだけが、自分の身を守る防衛手段でした。
そして、このあたりから、授業に集中できない、眠くて仕方がないという症状が出始めます。
元々、空想をして過ごしたり、物語の世界にいるのが好きなタイプの子供でしたが、頭に様々な物事が浮かんで、授業に集中しようとしても全くできない状況になりました。
検索すると出てきますが、ADHDにありがちな頭の中のノイズです。
そのノイズのせいで、学校の授業に集中できないため、人一倍家で勉強する必要性が僕にはありました。
そして、優等生を演じることでなんとか自分を保っていた僕は、授業に集中できていないことに気づかれることもありませんでした。

高校生時代

高校生になり、僕にもそれなりに友達もでき、恋(片思いですが)もしました。
しかし、頭の中のノイズはひどくなる一方でした。
家で勉強している時にも、勉強とは全く関係性のない物事がいろいろと浮かぶようになり、集中できなければできないほど、勉強する時間ばかりがどんどん伸びていきました。

最も困難だった大学生時代

大学生になり、一人で暮らすようになりました。
発達障害の特性ゆえ困難だったのは、家事などはもちろんのこと、朝起きること、時間に間に合わせる事など全てです。
サークル活動などでは、特に、決められた時間ギリギリに集合場所に到着する事などが多くありました。(素早くやっているつもりでも、気づくと時間が過ぎてしまう感覚です。
おそらく、頭の中のノイズがあるがゆえに目の前の物事に集中できていないのでしょう。それによって、行動が遅くなってしまうのです。
サークルでは、あらゆる点で優秀な人物が多く、高校まで優等生できた僕にとって、その場であまり能力が発揮できていないことが自分の自尊心を傷つけました。
また、発達障害ゆえの疲れやすさに気づかず、サークルを2つ掛け持ちし、コミュニケーションにも苦労を抱え、どんどん疲労を蓄積していきました。
そんな中、段々と疑心暗鬼に陥り、自分が大学やサークルに馴染めていないのではないかという強い思い込みが頭を支配するようになりました。

就職活動

サークルも中途半端に辞めてしまい、大学生活で僕のメンタルはボロボロでした。
そんな中、就職活動を行った僕は、内定を取った直後、研修にも行くことができず、家の中で一歩も動けない鬱状態になってしまいました。

それからのこと

自宅療養するようになってからも、頭の中のノイズに苦しめられ、僕の病状はなかなか回復しませんでした。
今まではどうでもいい物事が浮かぶことが多かったノイズが、自己否定の言葉に変わっていたからです。
しかし、大学までなんとか過ごしてきた僕は、自分が発達障害であるということに気づくことはありませんでした。

二次障害の悪化

僕は、自分の病状が中々回復しないことに焦り、とある場所でアルバイトを始めました。
しかし、それが悪化の原因になりました。
パソコンでの事務作業が主なアルバイトでしたが、一見集中して作業しているように見え(実際は頭の中がノイズだらけ)、真面目に作業をしていた僕は、重要な仕事を任されるようになりました。
しかし、発達障害ゆえの感覚過敏で視線恐怖があった僕は、向かい合わせの席に座った相手の顔がちらつくのが気になって集中できず、どんどんストレスを溜めていきました。
その結果、人への不信感が募り、一番の味方であった家族のことすら信頼できなくなってしまいました。
そして、仕事を辞めた僕に対し、医師から初めて”発達障害”と”二次障害”という二つの単語がでました。

現在

薬の力で、少しづつ回復し、家族との信頼関係も取り戻してきました。
今の目標はとにかく元気な自分を取り戻して、楽しく生きることです。